湯灌について③

お別れの時間

こんにちは。本社業務部の小川です。
前回湯灌(ゆかん)の流れについて詳しく説明させていただきました。
今回は私と友人の湯灌に関する体験談を元に湯灌に対する思いをお話しさせてください。

私の母は数年前に病気で亡くなりました。
本当に辛くて祭壇の前で冷たくなっている大好きな母の手をずっと握りしめて泣いていました。
一時も離れたくなかったので手を離さずにいると伺いに来た湯灌師の方が「大丈夫。お母さんを綺麗にしたらまた手を繋げるからね」と優しく声をかけられたのです。
この時、悲しみが深く父の意向で立ち会いはできませんでしたが、お気に入りの服を着て綺麗になっていた母と湯灌師の優しさは今でも忘れることはありません。

また、友人から親戚の葬儀で湯灌の立ち会いをした経験談を聞いて共感できたのは「人の手で大切に扱ってもらっている光景に癒された」という言葉でした。湯灌とは言い方を変えれば赤の他人に身内を預けて洗ってもらうことであり、最初は不安にもなりましたが洗練された技術によって洗い流してもらった母の姿を見て「綺麗になってよかったね」と逆に安心を得ました。また「音楽やシャンプーのいい匂いなどで五感で癒された」という感想は立ち会いをしたことがない私には興味深いものでした。自分たち親族で洗ってあげるのも湯灌のやる事に含まれていますが主要は湯灌師達であり故人様を清めるだけでなく、私たちの心身共に癒してくれる効果を持っているのではないでしょうか。

湯灌に立ち会うことは皆さんの人生においてほんの数回あるか、あるいは全く無いこともあるかもしれません。
前回のブログに書いたように湯灌を拒否してしまう場合もあります。それでも私が皆さんにお伝えしたいのは故人様に深い思い入れがあったり、綺麗にしてあげたい気持ちがあれば湯灌を思い出してほしいです。あの時「綺麗な姿で看取れてよかった。」と後々になってご葬儀を思い出せるいいきっかけになると私は強く思います。

少しでもこのブログで皆さんが湯灌のことに関心をもって覚えていただけたら幸いです。

お別れの時間